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第二思春期の終わり

a-sha


こんにちは。ブログ、続けてんですけど!


この文章の目的は、

①10年前の自分の宣言に対する責任を取ること、

②当時の決断を応援し、後押してくれた人たちへの恩返し、

③今の自分と10年、20年、30年前の自分を1本の糸でつなぎ、父として大人として、更に揺るぎない自分にすることです。

――――――――――――

10年前、音楽で食べていくと宣言した。それは30年前に持った夢を実行に移すことだった。

でも、その夢は叶わなかった。


「誰もそんなこと気にしていないよ?」


俺が、気にしてるんだ。

3年前にnostaramaを辞めてから、その事実にうろたえてしまい、中々整理がつかずにいた。

この10年の意味を噛み締めていないと、自己否定の波に飲まれて、自分の立ち位置を見失いそうになる。

「またしても失敗してしまった。何をやってもダメだ、なんてチグハグで中途半端な人生や…」と。

――――――――――――

10年前、仕事がどうにも出来ない自分がいた。あらゆる仕事が苦痛に感じた。

仕事と趣味を両立してやっていける人たちが不思議で仕方なかった。

音楽という趣味と、仕事。バランスを取ることができずにガッタガタだった。

――――――――――――

20年前、そもそも、どんな仕事に就いたらいいのか見当もつかなかった。

学生時代は勉強そっちのけでずーっと部活やサークルの中で音楽にうつつを抜かしていた。それは文字通り「現を」抜かした状態で、今がモラトリアムであり、いずれ終わりが来るという現実を見ないようにしていた。地下練習室の淀んだ空気は、俺の淀んでいたい気持ちとよーく馴染んだ。

しっかりと先を見据えている友人達が不思議で仕方なかった。

自己分析らしいこともしてみたし、海外で自分探しもしてみた。楽しかったけど結局エアーズロックしか見つからなかった。戻ったら留年してた。

とにかく体裁だけでもととのえようと、嘘に満ちた就職活動をした。

前向きで御社が第一なフレッシュマンというその場しのぎの嘘は、その会社さまに大きな損失をもたらし、同時に俺自身の大切なものも損なった。

――――――――――――

10年前、行き詰まった俺はある仮説を立てた。

「ずっと音楽が一番好きなのに、『趣味』という名の下に二の次になっている。」

「上手くいかない理由は、ちゃんと自分の可能性を試してないからかも知れない」

「音楽を生活の中心に置けば、問題は解決するかも知れない。」

⇒「音楽で食ってくしかない」

…必死だった。当時、すでに結婚もしていた。二人で描いていた将来像が、俺のワガママでご破算になった。巻き込まれた奥さんの方はたまったもんじゃない。

フリーターになって1日中トランペットの練習をした。夜はJazzのライブレストランでウェイターをしながら、心を震わせた。いつかステージの向こう側に立ちたいと思いながら。

独自の音楽性、独自の価値を探した。

横浜で一番クールな集団、nostaramaのメンバーになり、ライブを繰り広げた。

あの人たちの、涼しい顔して超ニッチな道をひた歩く格好良さ。ライブ一つのためにサンフランシスコまで飛んだりしたことなんかは、今でも息子に自慢している。




四畳半セッションを立ち上げ、「音の無法地帯」というムーヴメントを野毛に起こそうとした。

腕の立つ仲間たち、無茶な企画を快く受け入れてくれたzooというお店。

ちなみにマスターは高校の同級生で、俺とは正反対のやり方で壁にバンバンにぶち当たってきた同志だ。毎回、破茶滅茶だった。



流しのラッパ吹きなんて酔狂なことを始めた。定点で一人吹いても誰も振り向かないので、ならこっちが動くという逆転の発想。


色々試したがしかし、当初の目的「音楽で食ってく」は果たせなかった。

トランペットも、思うように上達しなかった。音域も拡がらないし、指も回らない。憧れるトランペッター達のレベルに、近づくことができなかった。

様々な活動についても、それだけで生活していくのは到底無理なことが分かった。

――――――――――――

この10年で、二人の子どもが生まれた。

優しく多感な男子と、乙女でお調子者の女子がひょっこり現れて、今は我が物顔でテレビの前を占領している。

夢を追うにあたり、タイムリミットがあることは分かっていた。自分でそっちを選択したから。

ギリギリの所でもなお、一緒に居てくれた奥さん。彼女との生活を続けるということは、いずれ家庭を築くということだった。

自分の世話もロクに出来ないこんなピーターパン崩れに父親なんて務まるのか?と不安だった。

それが今、奥さんと子供たちがテレビを観てゲラゲラ笑っている声を聞きながら皿片付けたり洗濯物畳んだりする時間をこの上なく幸せに感じる。

この変化、この気づき。

本当の本当に夢を追い続けることは、究極的にはこの幸せをを手放すことを意味する。奥さんと、二人で築く未来を手放すこと。それはある意味狂気に近い。その狂気を有する人こそ、ステージの向こう側に行けるのかも知れない。

その狂気が、俺には無かった。無くてよかった。

――――――――――――

夜のライブレストランのバイトから、昼の配達の仕事に切り替えたのは8年前くらい。自分のライブを夜するためには、仕事を昼に持ってこなくては、という必要にかられて、特に考え無しに(ごめんなさい)歩いて5分の場所にある生協の配送拠点の門を叩いた。

身体からチャキチャキ聞こえてきそうなおばさんから、いつから働けるの?アナタ当てにしていいの?と聞かれるままに答えていたら、気づいたら白菜やら牛乳やら共済やら笑顔やらを毎週300軒からのお家に届けるようになっていた。

同僚のお姉さま方は、時々ライブに大挙して押し寄せて、店のビールを全部飲み干して帰ったりした。

carry


最初は腰かけのつもりだった。いずれ音楽で食ってく気でいたから。

その夢が叶わないことがわかった時、やっぱり仕事も失速した。

ただ今までと違っていた点は、そこでフェードアウトせずに踏ん張り直したこと。

状況ちゃうんやで。こちとら子どもだって住宅ローンだって抱えとるんや。

そしてどうせ仕事するのなら、しっかり向き合いたいと思うようになった。相性の良し悪しの前に、自分から愛すんや。自分から相手に興味持つんや。

職場のほうも、行き詰まる俺を見てあるオプションを提示してくれた。それは、発展途上にある現行の仕事形態を法律の面でバックアップするというものだった。

その心意気に感謝しつつ今、少しずつ法律の勉強をしています。この変化。

――――――――――――

30年前、夢を持った。

中学生の頃、ハードロックにしびれた。部屋の4隅の壁全部と天井にロックバンドのポスターを貼った。毎日走って家に帰り、11時の方角までラジカセのボリュームひねってExtremeの2枚目を聴きまくっていた。親に、ミュージシャンになりたいと言った。

でも、その夢をうやむやにしてしまった。それが、すべての始まりだった。

――――――――――――

物心ついた頃から、不安が強かった。4歳の頃には自覚していた。

「そんな騒いでると明日から幼稚園なくなっちゃうわよ!」という先生の言葉を聞いて、職員室まで「いい子でいるので無くさないでください」と泣きながら陳情しに行ったことを、その時感じた不安と併せて覚えている。

そして皆さんご存知のとおり、不安と憂うつはセット販売されています。

不安はいわば頭の中で警報が鳴り響いてる状態なので、それが続くと心身ともに疲弊してしまう。その結果が憂うつとなって現れる。

不安との付き合いは、残念ながら一生続きます。

――――――――――――

結果としてプロのミュージシャンにはなれなかったが、逆にアマチュアを貫く凄さを知ることができた。

プロの凄さ、それは常に一定レベル以上のクオリティを保ち続け、常人には届かない高みに居続けること。

そこに金を払ってでも聴きたい音楽があり、金を払ってでも触れたい表現がある。

プロフェッショナルとは、選ばれた人たちがある種の狂気を孕んで、他の選択肢を切り捨ててようやくたどり着ける境地なんだ。


一方アマチュアの凄さとは、本当にやりたいことしかやらないこと。
自分の中のオモローに対して常にアンテナを張り、そのオモローに正直でいること。ジャンル?関係ない。表現形式?関係ない。

金にならなくても、誰に何を言われても、やりたいことをやり続け、発信し続ける。そしてブレない。

そんな人たちを、この10年で何人も見てきた。サラリーマンしながら週末にステージの上でブイブイ言わせてる人、子育てがひと段落して、ひとり全国をドサ回る人を。彼らの誰一人として、愚痴を言わない。タラレバ言わない。人生を、謳歌している。

puente


彼らに会えて、ものの見え方が変わった。


――――――――――――

アマチュアイズムについてもう一つ。

ある夜、野毛で流しをしていて、ある人に出会って、一緒に飲んだ。

その人は逆境の中でさえ輝いていた。というか、逆境も含めた全部を表現の糧にしていた。

何気ない会話の中で学生時代の話になり、相変わらず屈託満載の俺は、パッとしなかった当時を話した。

「え?今パッとしてるじゃないですか」

あ。そうか今俺パッとしてるんだ。

「武藤さんの音には楽しさと解放感がある。平日仕事して、やった週末だ〜!って気持ちが音に出てる。それはプロには出せない音かもしれないよ。」

あ。あ。

今、俺はその人の動きに目を離せないでいる。


プロとアマチュア。優劣ではない。ただ、違うだけなんだ。

――――――――――――


以上が、この10年で気づいたことであり、後押ししてくれた皆さんにフィードバック出来ることです。自分を使った実験結果です。


夢を持ったが最後、試すしか道はない。決着をつけろ。脇道に、それるな。それると、俺みたいに夢をこじらせて、面倒なことになるぞ。


これが、俺の見つけた俺のオリジナルの真理です。

――――――――――――

やってみて、はじめて分かることがある。


「それって当たり前じゃん」


そう、当たり前のことだよ。


でも、本当に、本当に出来ているかい?やってもいないのに、分かった気になってないかい?

俺は、分かった気になってたよ。そういうことにしてた。

うすぼんやりと、「世の常識」とやらに照らし合わせて、自明のこととして、向き合わないようにしてたよ。

俺の中にあった「世の常識」、それは

「音楽で食っていくなんで大それたこと、出来るはずがない。」

「音楽は趣味、仕事は別。」

なんで?そりゃ怖いからだよ。自分の真実を見るのが。才能のない自分と向き合うのが。音楽がなくなったら、それこそ何も残らない。

試した結果はこの通り。

プロとしての才能は無い。それでも、生きていける自分を見つけた。

怖いか?中坊の俺よ。43の俺は、もう怖くないから安心しな。ちゃんと試せたよ。この10年で答えを出せたよ。

俺には、不安という弱さがある。でもそれ以上に勇気がある。間違った方向に行こうとすると、ちゃんと故障してくれる身体もある。だから、大丈夫。

――――――――――――

そして、上の言葉は俺の子ども達にも伝える。これは、10年後の父親としての俺自身への宣言でもある。


夢を持ったら、迷わず試せ。さっさと試せ。

もし、それが(今の日本の)教育・社会のシステムと相容れないものであったら、そのリスクをじっくり考えて、その上で試せ。そこは一緒に考えよう。

ただ、決めるのはお前自身だ。その夢の責任を取るのもお前自身だ。お前には、それだけの力がある。

…言えるか?10年後の俺よ。奥さんにビビってないか?笑

これまた、うちのチビ達は親の想像を軽く超えてくることを言いそうなんだわ。ビックリさせてくれそうなんだ。

それでも、言うんだぞ。

――――――――――――


ここまで読んでくださり、本当に、本当にありがとうございます。


この文章をひねり出すのに何年もかかったのですが、この数ヶ月、自分が後押しされるような不思議なシンクロニシティを感じることがいくつもありました。

ひとつひとつに、ひとりひとりにありがとうと言いたいです。

第二思春期、終わりました。ようやく、次に進むことができます。



以上、現場より報告でした。次いこ、次!
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中指の意味

nakayubi
2014年にnostaramaでサンフランシスコに行き、Randyという人に会った。
とても優しい人だ。英語の不得手な俺たちに、ゆっくり分かりやすく言葉を選んでくれるひと。

彼の家に滞在中、俺が日本で「流しのラッパ吹き」をしていることを話した。
流しという概念が海外にあるかどうか分からんが、要するにストリートミュージシャンで、PlayingしながらWandering aroundしてTipsもらってさ、、、とよく分からない英語を使って伝えた。
そのなかで、
「喜んでくれる人もいるけど、中には『うるさい!!』って怒鳴る人もいるんだよね。。」と俺が話すと、彼は静かに、しかし力強く、中指を立てた。

そう、中指。

"Fuck them"

最大級の侮蔑語にして、自分の身も危険にさらしかねない、過激な表現。

そして、
「ユーの音をうるさいと思う人もいるかもしれないが、それ以上に喜びを与えているんだろ?外野の声なんて気にするな」
と言ってくれた。


あの中指に、今の俺がどれだけ背中を押されているか。

あの中指は、俺にとって「シールド」なんだ。

俺のラッパの音をうるさく思う人、当然いる。その人たちの事情もわかる。
聞きたくない人にとっては騒音でしかない。眠りたい人、静かに飲みたい人。

でも、今の俺には、「そうですか、なら、金輪際やめます」とはならない。絶対に。
「あ、そうですか。失礼~!」とその場を立ち去るのみ。

なんで流しをやってるの?
お金を稼げる?Yes。
濡れ手に粟のチョロいお仕事?No。
「人」に会える?Yes!Yes!Yes!

やらずにはいられない。

流しをしていると、自分が素っ裸の剥き身で世界と対峙している気持ちになる。
今まで薄い膜で守られていたものが剥ぎ取られて、身ぐるみはがされて路上に放り出される感覚。
怖い。寒い。けどやめられない。
だって優しいんだもん、人。

時にズタズタになるけど、それでもなお生きてる実感がする。

ここの部分は、正直まだ考えがまとまっていないんだけど、

「うるさい!」という対象は、俺そのものなんだ。
嘘っぽい音は、嘘っぽい俺なんだ。空虚に響く音は、冗舌に過ぎる俺なんだ。

言い換える。

音楽家の端くれにとって、自分の音は自分の存在そのものなんだ。

自分の存在が、ある人にとっては迷惑となる。
でも、だからといって自分の存在を消すことはできないでしょ?

「俺が嫌い?ごめんねごめんね~!」と。
「俺が嫌い?知るかバカヤロウ」と。

そのシールドこそ、Randyが示してくれた中指なんだ。

弱い俺が、心の中で中指を立てながら、世を渡っていく。

流しはやめない。
おまわりさんに止められるか、ヤのつく人に因縁つけられるまでは。
そして、俺の中にRandyの中指がある限り。
randy
ブリトーもうまかった

お知らせ

news.jpg

どうもこんにちは武藤です。一つお知らせさせてください。


このたび、野毛zooで毎月行われるイケナイ音遊び「四畳半セッション」のホストから一旦離れることとなりました。

公私共に色々いっぱいいっぱいになってしまい、時間と体力が追い付かなくなってきてしまいました。

あの毎瞬間が勝負の、恍惚の空間から遠ざかるのはとても残念ですが、自分の音楽活動、家庭、仕事の在り方の変遷に伴って、その内容も精査しなくてはなりません。
今、最も注力すべきもの、今、最も大切にすべきものに、俺の限られた小宇宙(と書いてコスモ)を全投入する。

一連の活動に何らかの答えが出るまで、四畳半の愉しみは一旦「おあずけ」にすることにしました。

というと何だかカッコいいですが、実際のところは言い出しっぺがいきなり戦線離脱する無責任でしかなく。。俺こういうの多いよね。なんだかなあ。ごめん。

四畳半のこれからですが、私を除くメンバーで話し合いをしながら決めていくことになります。


…zooという、型破りなマスター夫妻のもと、型破りな人たちが集う型破りな場所で、約3年間、延べ37回にわたり「イケナイ音遊び」をしてきました。

始まりは2011年のハロウィン。「野毛ハロウィンに呼ばれなかった店」から放つ、怒りのゲリラライブが四畳半の原型だった。
振り向けバカヤロウ!ここが新しい野毛の中心だ!第三新東京市だ!

というパンキッシュな情熱。

「何なんだここは!?」と言わせたかった。


2011年。記念すべき第一回は、酔っ払いのガイジンたちに占領されるという最高の幕開け。

↓↓↓↓


2014年。回数を重ねること30回めの一幕。通りすがりのお客さんからのリクエストに応えて。

曲目を決めないのはもとより、お客さんからのリクエストを中心にイベントを組み立てるというのは、ひとつの試みだった。
そしてその試みをするのに十分な腕とハートのある仲間たち。U子ちゃん、オギサン、峰、モーリス、ユウマ、ケンツ。
いつも遊びに来てくれるお客さんたち。

時としてシマリのない演奏になることもありましたが、リクエストをくださったお客さんの楽しそうな顔があれば、すべてモウマンタイ!でした。

お客さんとの一期一会の中から生まれるグルーヴ。その中に身をおいたら、もう無敵の気持ちよさなのね。

いつもありがとう。本当にありがとう。


これからもよろしくお願いします。私を、四畳半を、zooを。

や、あのメンバーは大丈夫だった。全然大丈夫だわ。zooも最初から全然大丈夫だわ。俺がどうこうお願いしようなんて失礼だよね。

要するに、俺だよね!?「俺」が一番なんとかしなきゃいけない物件だよね!?

ホント俺、よろしくお願いしますッスよー。もうすぐ40だもんなあ。。こんな惑ってる不惑ってないわー。

すいません話がズレました。

粛々と、日々の生活の中から時間とエネルギーを拠出して、今やることをやっていきます。


以上、現場より報告でした!

サンフランシスコ総括

このブログもたま~の更新になって、書く内容がどんどん濃く重くなっているのを感じる秋の日です。

旅から帰ってきてからずっと、「総括しなくちゃ」と思いながら1ヶ月が経ってしまった。

なんかこう、もらったものが多過ぎて両手がふさがってしまっていて、落とすまい落とすまいとしながらも、後ろの人も押してくるのでヨタヨタ歩き出してしまった感じです。うん分かりづらい!

女子高生がスクラップブックを作るように、OLがコルクボードに写真を貼るように、俺は「総括」をする!
一旦整理しないと大切なこと忘をれてしまいそうで。

以下、まとまってないですが、感じたことの断片を書き留めておきます。

・この旅で得たもの
①「与える」ということ
この旅でRandyという人に出会った。彼は友人の友人といった間柄であるにも関わらず、nostaramaがライブ出来るように八方手を尽くしてくれた。
有名なバンドならいざ知らず、どこの馬の骨とも分からない日本の4人組に自分の店を一晩貸すというのは、ライブハウス側からしてみても、リスクが大きい。集客できないかも知れないでしょ。だから普通は断る。
当然、nostaramaも断られ続けた。というか、無視された。
そんな中、Randyはそれこそ何箇所も根気強くアタックしてくれて、最後には自分の家でパーティーまで開いてくれた。nostaramaの演奏を友人達に聴いてもらうためだ。

そこまでしてくれるん!?

これを、ごく自然に、当たり前のようにサラリとこなしてしまう(ように俺からは見えた)。
言っとくが仏じゃないぜ。同じ人間だぜ。
死ぬまでに、どこまで彼に近づくことができるかな、と、少し恥じ入りながら考えまます。

②ある音楽的な高みへの到達
到達、というよりも、nostaramaの仲間によって、サンフランシスコの空気によって、他の様々な有象無象によってリフトアップされた感覚。

街の放つ匂い、雑貨屋に並ぶ色とりどりの野菜。英語スペイン語中国語よく分からない言葉。安ホテルにもはや「住んじゃってる」人たち。魔改造された彼らの部屋が廊下からチラリと見えた時、ちょっと吹き出してしまった。カスタマイズ、し過ぎってば。

どれを取っても、あまりに刺激的。

その刺激と、自分の身体との歯車がガッチリ噛み合ったとき、もはや身体は関係なくなる。自分が音楽そのものになる。
この境地を1秒でも多く味わっていたい。だから、トランペットをずっと続ける。続けてきたけど、もっと続ける!ある意味ドラッグよりもたちが悪い。

・この旅の意義について
③「4人で行った」ということの凄さ
一人で行ったんとちゃうで。4人で行ったんやで。それぞれがそれぞれのハードルを乗り越えて、4人が同時に行ったんやで。
俺のハードル、それは金銭面と、家族をどう説得するか。身重の奥さんと手のかかる息子を置いて、サンフランシスコに行く意味は?

「日本ですら売れてないのに、何故に海外?」←ここポイント

そう、誰も待ってない。

奥さんとの話し合いも紛糾した。
「ホラ、海外でやったとなると少しは箔もつくでしょ?」なんて言ってみたり。全然知らないくせに。

結局、「家計からは1円も出さない」ことで何とか合意を取り付けた。渡航費は全て流しのラッパで稼いだ。

それでも、十分には説得できなかった気がする。なにせ、俺自身だって半信半疑だったんだから。

「観光とちゃうの?」
「思い出作り?」
「素敵な1週間でした。リフレッシュしました。明日からまた頑張りましょう。以上?」

違う、そうじゃない


そんな中、いつもお世話になってる西横浜El PUENTEのマスター、シゲさんに

「行くしかないでしょう。人生一度きりなんだから!」

そのシンプル極まりない言葉を頼りに、半ば無理やり、なし崩し状態で渡航に踏み切った。
その結果がコレです。





旅の終わり、ノリエさんが豊田さんに対して

"You are the man! I'm proud of you."

と言ったが、この言葉に凝縮されている気がする。
今回の旅が実現するまで、2年近くの歳月を要した。その間、メンバーも変わった。一時は解散寸前の憂き目にも合った。
でも、豊田さんはあきらめず、不自由な英語でメールし、国際電話をし、ライブハウスとの交渉機材の手配レンタカーの手配比較的安全な安宿の手配から全てを行った。

すごい。まさに「アンタ男だよ!」

今回の旅を経て、何かが変わる。そうあってほしい。

時間の使い方が変わる。
人生観が変わる。
優先順位が変わる。
周りの反応が変わる。
変われるはずだ。今までも変わってきた。
現実を、もう少し良くできるはずだ。痛いニュースなんて見てる場合じゃない!

家族には、日々の態度で、日々の行いで返していくしかない。

また行きたい。今度は家族と行きたい。
家族と行くにはあんな安ホテルじゃ駄目だ。

金を稼がねば。
音楽で稼がねば。

nostaramaで世に出たい。

今回体験した感覚たちは、きっと日常の波に揉まれる中で、風化していくものもあるだろう。
でも、大切なものは静かに心の中に沈殿して、残っていくでしょ。
そもそも、旅と日常は分断されるものでは無いはず。日常だって、大きな旅の一部分なんだから。

総括、以上!

古いノート

最近引っ越しまして、そのときに出土した古いノートを見返したりしてます。

note
字の汚さにはブレがない

それにしても、この「遊び」のなさよ。1分も無駄にしたくないという気迫。
読んでいて、何だか胸が詰まる。
焦りや不安、熱意、夢なんかがごちゃ混ぜになっている。


その後、仕事に就いて、子どもができた。
こうしてキーボードを叩いていると、超笑顔の息子が容赦なくよじ登ってくる。

残念ながら音楽だけでは食っていけていない。
練習の時間はノートの頃の1/10といったところか。
heya
今の練習場

このノートを書いた日の俺が今の俺を見たら、なんて言うだろう。

「…でも、幸せなんだろ?」


引っ越してから、息子を保育園に送る朝の20分間だけ、いいラジオ番組が聴ける。inter FMの「バラカン・モーニング」。
ほんの短い間だけなのに、なかなかどうして、いい曲に出会えるんだな。

こないだ、この曲にガツンとやられた。

かまやつひろし「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」

1975年だって。俺の生まれた年にこんなイカシたものを作るなんて…。
演奏はタワー・オブ・パワーだって。納得。
そしてこの歌詞ときたら。冷水をぶっかけられた気持ちになった。
この感覚、以前にも一度あった。茨木のり子の「自分の感受性くらい」という詩に触れたときだ。


変化に対してしなやかで、かつ目の前のハードルをブチ破る強さが欲しい。
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